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セイムタイム・ネクストイヤーと云う戯曲がある。織姫と彦星の逢瀬をもじった一種のラブストーリーだ。ま、そこまでのものではないんだけれど、この日のこの場所は、あの日のあの場所だったりして、同じ時間が流れだしたりする。
僕は、感傷的でもろい人間だから、リリカルだったあの時の自分をいとおしむようなところがある。そう云う心の軌跡を、追っていきたい。
この日、この場所で(Home)
十月の終わりだったと思う。 神保町の古書店街を抜けて、御茶ノ水へ向かう坂道を歩いていた。午後四時を少し回った頃、ビルの谷間から斜めに差し込む陽射しが、街を琥珀色に染めていた。
ああ、この光だ。 何十年も前の、あの日と同じ光だった。 君と待ち合わせた喫茶店は、もうない。地下へ降りる狭い階段も、壁に貼られていた芝居のポスターも、煙草の煙に霞んでいた裸電球も、すべてなくなっていた。
けれど、不思議なものだ。 街というものは、ときどき記憶を隠し持っている。 角を曲がると、突然、昔の自分が向こうから歩いてくるような気がする。肩から布の鞄を下げ、読みかけの文庫本をポケットに突っ込んで、何か途方もないことを考えている若者だ。
あいつは、きっと恋をしていた。 世界がどんなに不条理でも、どんなに貧しくても、明日というものは、必ず今日より素晴らしいのだと信じていた。 そして、その根拠のほとんどは、君の微笑みにあった。
「来年も、この日に会おうよ」 そんな約束をした覚えはない。 けれど僕たちは、幾度となく、同じ季節の同じ場所に立っていたのだと思う。 春には桜の花びらが舞い、夏にはアスファルトが陽炎に揺れ、秋には街路樹の影が長く伸びた。
そして冬。 君は冷たい指先を僕のコートのポケットに忍ばせて、何でもないことのように笑っていた。 あれから、ずいぶん遠くへ来てしまった。 東京は変わった。僕も変わった。あの日、永遠だと思っていたものの多くは、永遠ではなかった。
それでも、時間は一方通行ではないらしい。 今日、この場所に立つと、あの日の風が吹く。 僕はふと立ち止まり、振り返る。 そこには誰もいない。 いや、誰もいないわけではない。
あの日の僕がいる。 あの日の君がいる。 そして、あの日にはまだ知らなかった、たくさんの喜びと悲しみを抱えた、今日の僕がいる。 人生とは、遠いどこかへ旅をすることではなく、何度も同じ場所へ帰ってくることなのかもしれない。
ただ、そのたびに、少し違う自分を連れて。 御茶ノ水の駅から、電車の走る音が聞こえてきた。 僕は歩き出した。 帰ろう。 どこへ? そうだな。 あの日の僕たちが、まだ夢を見ている場所へ。
この日、この場所で。 東京は今日も、何も知らないふりをして、僕たちの時間を流している。
本の買い出しの帰りや、近くの大学に通う友人との待ち合わせや、アテネフランセの授業の後、駅前のジローによく立ち寄った。これらは少しづつ時代がずれていて、各々色濃い思い出を持つ。ところで、あれはまだあるんだろうか?
御茶ノ水駅の改札を出ると、いつも少しだけ胸が騒いだ。 聖橋の向こうにニコライ堂の丸屋根が見え、坂道には学生たちのざわめきが溢れていた。本屋の紙の匂い、楽器店から漏れるギターの音、そして、どこかの喫茶店から流れてくるジャズ。
あの頃、東京は、僕たちのために存在していた。 駅前のジローには、よく立ち寄った。 神保町で本を買い込んだ帰りだったり、明治大学に通う友人を待つ午後だったり、アテネ・フランセでフランス語の動詞活用に散々苦しめられた夕暮れだったり。
不思議なことに、それらは同じ時代の出来事ではない。 少しずつ季節が違い、登場人物が違い、僕自身の年齢も違っている。 けれど記憶の中では、みんな同じテーブルに座っている。
「今日はケーキバイキングにしようよ」 誰が言い出したのだったろう。 君だったかもしれない。 僕たちは、まるで人生の重大な決断でもするように、ショーケースの中のケーキを眺めた。
苺のショートケーキ、モンブラン、チョコレートケーキ。小さな皿にいくつも載せて、得意げにテーブルへ戻ってくる。 「そんなに食べられるの?」 「大丈夫。今日は哲学的に空腹なんだ」
君は呆れたように笑った。 何が哲学的だったのか、今となっては説明できない。 ただ、あの頃の僕たちは、何でも哲学にしてしまう悪い癖があった。 恋愛も、芝居も、革命も、そしてケーキの食べ放題でさえも。
窓の外を中央線の電車が走っていた。 友人はサルトルの話を始め、君はフランス映画の話をした。僕は新しく買った詩集を鞄から取り出し、誰も聞いていないのに一節を読み上げた。
そうして夕方になり、夜になり、僕たちはそれぞれの街へ帰っていった。 何十年も経って、僕はまた御茶ノ水にいる。 あのジローは、まだあるのだろうか。
駅前の景色はすっかり変わってしまった。見覚えのある建物を探しても、記憶の輪郭と現在の街並みが、どうにも重ならない。 しかし、ふと気づく。 僕の中には、いくつもの御茶ノ水がある。
本を抱えて歩く二十歳の僕。 芝居の稽古帰りに友人を待つ僕。 フランス語の教科書を小脇に抱え、まだ見ぬパリを夢想する僕。 そして、ケーキを頬張る君の横顔に、ひそかに見とれていた僕。
みんな違う時間を生きていたのに、今では一枚の古い写真の中に収まっている。 時間というのは、ずいぶん勝手な編集者だ。 それでも、消してしまわないでくれて、ありがとう。
夕暮れの聖橋に立つ。 神田川の水面が、遠い日の光を揺らしていた。 あの頃、僕たちは、何かになろうとしていた。 作家でも、俳優でも、哲学者でも、あるいは、ただ誰かを幸せにできる人間でもよかった。
結局、何になれたのだろう。 そんなことを考えながら、僕は少し笑った。 もし、あのジローがまだあるのなら。 もう一度、ケーキバイキングをしよう。
今度は、あの日の僕たち全員を招待して。 きっと誰かが遅刻してくる。 きっと誰かが、また難しい哲学の話を始める。 そして君は、苺のショートケーキを指さして、あの頃と同じ声で言うのだ。
「ねえ、もう一つ食べてもいい?」 もちろんさ。 僕たちには、まだまだ甘い時間が残っているのだから。
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